大丸

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[[Image:大丸.png|300px|right]] '''大丸'''(だいまる、[[英語|英称]]:''DAIMARU'')は、[[J.フロントリテイリング]]グループの[[日本の百貨店|百貨店]]の[[屋号]]である。また、'''株式会社大丸'''は、2010年2月28日までこれを運営していた企業である。 [[近畿]]発祥の[[老舗]]百貨店で、大阪([[心斎橋]]・[[梅田]])・京都・神戸・東京・札幌に主力店舗を構えており、この6店舗だけで単体の91%の売り上げを占めている。上記の主力店は現在'''[[大丸松坂屋百貨店|株式会社大丸松坂屋百貨店]]'''による運営である。 == 沿革 == *[[1717年]]([[享保]]2年)下村彦右衛門正啓、京都伏見の生家に古着商「'''大文字屋'''」開業。(大丸創業) *[[1726年]](享保11年)大坂木挽町北之丁に'''大坂店'''(おおさかだな)「'''松屋'''」を開店、現金正札販売をはじめる(現・心斎橋店所在地)。 *[[1728年]](享保13年)名古屋本町四丁目に'''名古屋店'''(なごやだな)を開店、初めて「'''大丸屋'''」を称する。(1910年 明治43年閉店) *[[1736年]]([[元文]]元年)京都・東洞院船屋町に'''大丸総本店'''「大文字屋」開店。経営理念を「'''先義後利'''」と定める。 *[[1743年]]([[寛保]]3年)江戸日本橋大伝馬町三丁目に'''江戸店'''(えどだな)開店。 *[[1907年]]([[明治]]40年)資本金50万円で「'''株式合資会社大丸呉服店'''」を設立。 *[[1910年]](明治43年)江戸店、名古屋店を閉店。 *[[1912年]](明治45年)デパート形式「'''京都大丸'''」開店(現・京都店所在地。鉄筋木造3階建)。 *[[1913年]]([[大正]]2年)神戸・元町に'''神戸支店'''開業。商標マークを改め登録。女子販売員を採用。 *[[1920年]](大正9年)資本金1,200万円で「'''株式会社大丸呉服店'''」を設立。 *[[1925年]](大正14年)定款の営業目的を「百貨陳列販売業他」に変更。 *[[1927年]]([[昭和]]2年)神戸店が明石町(現在地)に移転。 *[[1928年]](昭和3年)商号を「'''株式会社大丸'''」に変更。 *[[1931年]](昭和6年)「株式会社京都大丸」を吸収合併し、'''京都店'''とする。 *[[1947年]](昭和22年)高知大丸開店。 *[[1949年]](昭和24年)鳥取大丸を関係百貨店とする。 *[[1949年]](昭和24年)大丸ドレスメーカー女学院(現[[ディーズファッション専門学校]])を京都店6階に開校。 *[[1950年]](昭和25年)下関大丸開店。 *[[1953年]](昭和28年)博多大丸開店。クリスチャンディオールと独占契約(1964年まで) *[[1954年]](昭和29年)東京駅八重洲口に東京店開店。初日に20万人が来店。日本初のパートタイマー制を導入。 *[[1959年]](昭和34年)オリジナル紳士服「トロージャン」誕生。 *[[1960年]](昭和35年)ピーコック産業株式会社(現・[[ピーコックストア]])を設立。 *[[1961年]](昭和36年)日本の小売業界売上NO.1を達成。(1960年下期から1968年下期まで連続) *[[1964年]](昭和39年)ジバンシィと独占契約。 *[[1968年]](昭和43年)発送代行業務の子会社「大興運輸株式会社」設立。 *[[1972年]](昭和47年)松坂屋と共同配送開始。 *[[1974年]](昭和49年)今治大丸を関係百貨店とする。 *[[1976年]](昭和51年)デパート業界初の商品のデメリット表示を実施。 *[[1983年]](昭和58年)CISを導入、新しいマークを制定。梅田店開店。ホームショッピング事業部(現・大丸ホームショッピング)新設。 *[[1984年]](昭和59年)クレジット事業部(現・JFRカード)新設。 *[[1987年]](昭和62年)神戸店周辺店舗1号店(現・旧居留地38番館)開店。 *[[1988年]](昭和63年)株式会社大丸クレジットサービス、株式会社大丸ホームショッピング、株式会社大丸情報センターを設立。長崎大丸開店。 *[[1990年]]([[平成]]2年)株式会社大丸友の会を設立。 *[[1992年]](平成4年) 大興運輸株式会社が株式会社アソシアに商号変更。 *[[1993年]](平成5年) 大阪・ミナミ アメリカ村「'''ビッグ・ステップ'''」オープン。 *[[1997年]](平成9年) 神戸店(1995年[[阪神・淡路大震災]]で被災)が復興グランドオープン。 *[[2003年]](平成15年) 札幌店開店。 *[[2005年]](平成17年) 大丸Dカードを発行。 *[[2006年]](平成18年) アソシア株を日本郵政公社へ譲渡。「'''株式会社JPロジサービス'''」へ商号変更。 *[[2007年]](平成19年) ** 株式会社松坂屋と経営統合。持株会社「'''[[J.フロント リテイリング]]株式会社'''」を設立。 ** 京都店「日本生命四条ビル」「京都ダイヤビル」に周辺店舗をオープン。 ** 神戸店「NTT西日本神戸ビル」「ブロック44(神戸御幸ビル)」に周辺店舗をオープン。 *[[2010年]] (平成22年) 株式会社松坂屋に合併し解散。株式会社松坂屋は「'''株式会社大丸松坂屋百貨店'''」に商号変更。 {{Main2|以降は[[J.フロント リテイリング]]を}} == 概要 == [[1717年]]([[享保]]2年)に下村彦右衛門正啓が今の[[京都市]][[伏見区]]京町北八丁目77に呉服店 大文字屋を開業し、呉服商を出発点として[[両替商]]を兼営していた。[[1726年]]大坂[[心斎橋筋]]に進出。[[1728年]]に名古屋本町に名古屋店を開き、「大丸屋」(のち閉鎖)と称した。幕末には[[高島屋]]に対して、幕府側についた。 [[1908年]]11月、個人商店「大丸呉服店」を株式合資会社に転換。その際、下村家当主が[[早稲田大学]]出身であった縁から、[[大隈重信]]の配慮で同じく早稲田出身の銀行家[[杉山義雄]]を専務理事として迎え入れ改革に乗り出した。杉山は専務理事就任時に資本金50万円のうち3万円を出資し、従業員や別家が20万円を出資していた<ref>株式の譲渡については無限責任社員(出資者全7人)の同意を必要としたので、下村一族や従業員以外に株式が流れる心配はなかった。</ref>が、約40軒の別家は旧態依然としていたところに杉山が急激な改革を実施。これが古手の店員や別家の反感を買い、更に不況と重なったことから杉山は退任に追い込まれる。 その後、[[1910年]]に東京信託会社の[[岩崎一]]が改革案を作成し、ついで大隈の斡旋により、[[日本生命保険|日本生命]]社長[[片岡直温]]が改革に乗り出す。同年秋には東京・名古屋の両店を閉店する一方で、京都・大阪・神戸店を拡張して再建に乗り出した。下村家も秘蔵の書画骨董を売却して約30万円を調達して資力を増強、[[1911年]]1月22日に別宅会を解散して積立金を割り戻す決定をした。[[1914年]]には大阪店が不渡りの手形を出して京阪二店が休業するなど、呉服店から百貨店への転換過程では問題が続発したが、幾度もの困難を乗り越え、[[1928年]]'''大丸'''と改称しその近代化に成功した。 高度成長期は[[三越]](現:[[三越伊勢丹ホールディングス]]・並びに同社傘下の[[三越伊勢丹]]ほか)と並び「西の横綱」といわれたが、バブル崩壊後業績は低迷。[[奥田務]]が社長就任後、他の百貨店よりも一足早く[[1998年]]より事業構造改革に乗り出し、国内不採算店舗の閉鎖や海外店舗の全面撤退、人員削減に取り組んだ。その一方、[[2003年]]には札幌店を開店し軌道に乗せている。結果として改革は成功し、収益力を業界首位級に押し上げた。 なお、店名の呼称については通常、「〜てん」と案内されるが、近畿圏の各店舗に関しては以前から「〜みせ」と案内されるのが通例で、同地区の同業他店舗を含めて他に例を見ない特徴でもある。直営店では、札幌店・東京店は「〜てん」、心斎橋店・京都店・神戸店・梅田店が「〜みせ」と呼ばれている。 名物は、餡入りカステラ饅頭に「大」の焼き印が押された「大丸饅頭」。現在は大丸梅田店と博多大丸福岡天神店で販売している<ref>梅田店では改装工事のため一時販売を行っていなかったが、2011年3月5日より販売を再開している。</ref>。かつては神戸店でも販売していたが、[[1995年]]の阪神・淡路大震災で製造機械が壊れ販売中止となった。その後、震災10年の記念として[[2005年]]に1週間だけ再現された。 == 創業者 下村彦右衛門正啓 == 生年:[[1688年]]([[元禄]]元年)[[京都]][[伏見区|伏見]]京町 北八丁目-没年:[[1748年]]([[寛延]]元年)5月15日。父・下村三郎兵衛兼誠は[[摂津国]][[茨木市|茨木]]の武将・[[中川氏]]の家臣の子孫で、[[大坂の陣]]後、商人になった。正啓はその第五子、三男として後継ぎとなり、19歳の時に行商を始めた<ref>[http://kotobank.jp/word/%E4%B8%8B%E6%9D%91%E5%BD%A6%E5%8F%B3%E8%A1%9B%E9%96%80 朝日日本歴史人物事典・大丸二百五拾年史]</ref>。 背が低く、頭が大きく、耳たぶが垂れ下がってた風貌で、人情に厚く、商売を成功させたことから、「'''[[福助人形]]伝説'''」の一人として伝えられるようになった<ref>[http://homepage1.nifty.com/zpe60314/daimaru.htm 呉服店もの語り]</ref>。 == 経営理念「先義後利」 == 1736年(元文元年)大丸総本店「大文字屋」開店時に定めた理念。 先義(而)後利(者栄)=義を先にして利を後にする者は栄える。 「義」とは商売における正しい道」「公共のために尽くす気持ち」を意味し、「顧客第一主義に徹すれば、利益は自ずからついてくる」という考え方に徹した。 下村は毎年冬になると[[施餓鬼]](せがき)として貧しい人に食べもの、古着やお金を施し、人の集まる寺社に大丸マークつきの灯籠や、手ぬぐいを大量に寄付する等[[ボランティア]]活動で利益を社会還元していた。 このため、1837年(天保8年)、[[大塩平八郎の乱]]([[百姓一揆]])に際しては、利を優先させた富豪や大商人はことごとく焼き討ちにあっていたのに対し、「'''大丸は義商なり、犯すなかれ'''」と部下に命じられたため、焼き討ちを免れたと伝えられている。 この精神は、現在も大丸の企業理念として継承されている。 == 商標大丸マーク == 創業時の「大文字屋」の名は、京都五山の送り火の「'''[[大文字焼き|大文字]]'''」にちなんで付けられた。名古屋進出にあたって、「丸」の中に「大」の字をあしらった商標を使い始め、広く一般に「大丸」と呼ばれるようになった。 「丸」は宇宙を表し、「大」の文字は「一」と「人」を組み合わせて成り立っていることから、 「天下一の商人になろう」という志を示した。 江戸進出に際しては、このマークを染め抜いた萌黄地の'''[[風呂敷]]'''を大量につくり、商品を包んで運んだ。その風呂敷が派手で非常に目立つものだったため、江戸っ子の間で話題となり、開店前から多くの人に認知されるようになった。 風呂敷自体、江戸前期には銭湯に行く時にすら使われていなかったのにもかかわらず、大流行することになった。 大丸屋江戸店での風呂敷の売上は1750年(寛延3年)には14,500枚だったが、1828年(文政11年)には60,670枚と4倍に増加。商人ばかりでなく、一般庶民が品物を運ぶ際に使う当たり前の道具として定着することになった<ref>[http://www.miyai-net.co.jp/furoshiki/history04.html 風呂敷の歴史 八王子織物史]</ref>。 かくして、大丸屋は、越後屋(現.[[三越]])、[[白木屋 (デパート)|白木屋]](現.[[東急百貨店]])と並ぶ江戸三大呉服店と称されるまでになったのだった。 1913年(大正2年)類似商標と区別するため、おめでたい「[[七五三]]」にちなんで「一」の左端に3本、「人」の字の下端左に5本、右に7本のひげをつける改定を行い登録。70年に渡って親しまれた<ref>[http://kaisya.keieimaster.com/log/0082.html 社名雑学]</ref>。 1983年の[[コーポレートアイデンティティ|CI]]によりシンボルマークは「孔雀(ピーコック)」をデザイン化したものに変更され、現在に至っている。但し、正式な社章は現在も「七五三ひげの大丸」で、呉服の包装・一部店舗(心斎橋店・南館屋上や下関大丸など)の外装にも残されている。 2010年3月の大丸松坂屋百貨店の発足後は、各店の正面入り口脇の店名の銘板の表示も、「丸に大」のマークと、「大丸 創業1717年」と記されるようになった。ちなみに、それ以前の銘板は上部に「丸に大」のマークが孔雀の羽で縁取られ、その下に「株式会社大丸 The Daimaru,Inc.」と記されたものであった。特に心斎橋店のものは、「創業1717年」の文言が当初から記されていた。なお、梅田店の正面入り口の銘板は孔雀をモチーフとしたCIマークに、「DAIMARU UMEDA」と記されたものであったが、2011年4月19日の増床グランドオープンに合わせ、「丸に大」のマークのものに変更された。 == 海外ブランドの独占契約・プライベートブランドの開発 == 古いお店で義理人情ばかりが大丸の取り得ではない。積極進取の側面もあり、早くから海外ブランドとのライセンス契約やプライベートブランドの開発も行ってきた。 === クリスチャン・ディオール === [[1953年]](昭和28年)[[ディオール|クリスチャン・ディオール]]と独占契約。ライセンスによる国内生産が始まった。店内に「'''ディオール・サロン'''」を開設、輸入されたディオールの型紙を使用し、自社でオーダー・メイドの服を製造した<ref>[http://www.kci.or.jp/research/dresstudy/pdf/D52_Nii_Japanese_Made_Pret_a_Porter.pdf 1960年代の日本製プレタポルテ]</ref>。そのお披露目として、大阪、京都、神戸で初の[[ファッションショー]]も開催している(注.東京の初は1927年 [[三越]]銀座店)。これは、日本初の海外デザイナーとの提携となり(従来は外資法により禁じられていた)、他百貨店も追従したばかりではなく、[[アパレル]]業界全体に広がっていった<ref>[http://www1.tcue.ac.jp/home1/takamatsu/101417/101417-00006.doc 「流通機能と小売業界の現状」藤川直樹]</ref>。 買付と京都地区での製作を担当した[[礒村春]]を校長として、その洋裁教育を伝搬すべく大丸ドレスメーカー女学院(現[[ディーズファッション専門学校]])を京都店6階に開校した。 1964年からは[[カネボウ]]がディオールの独占販売権を獲得、1997年秋からはクリスチャン・ディオール・ジャポン社が独自に店舗展開を開始<ref>[http://www.fashion-st.net/link/dior.html Fashion Street クリスチャン・ディオール]</ref>。現在、大丸各店にはショップを出店する形(鳥取を除く)になり、大丸以外の百貨店にも出店している<ref>[http://fashioncity.jp/brand/dior/shop/area/%E9%AB%98%E7%9F%A5 クリスチャン・ディオールのショップ]</ref>。 === ジバンシィ === ディオールと入れ替わりに1964年から[[ジバンシィ]]と独占契約。[[オードリー・ヘップバーン]]御用達ブランドで永らく大丸の顔ともいうべきブランドだった。 === 紳士服トロージャン === 「'''[[イリオス|トロイ]]の戦士'''」を意味する大丸の紳士服(日本で最初の[[プライベート・ブランド]])。1959年、既製紳士服の先駆けとなった。([[十字屋]]提携時代は十字屋・清水屋でも扱いがあった) 当時の日本には既製服製造のための大規模な工場が少なく、生産効率が低かった。このため、既製服のサイズは「特大」「大」「中」「小」の4種類に限定されており、注文して作ることが一般的だった。 大丸は「日本人の体型によりフィットする洋服」として開発すべくアメリカ既製服界に精通し、自らもテーラーを経営する奈古済一(なこせいいち)を招聘、技術指導を要請。当時、最新鋭の20数種のプレスマシン等、新しい技術を導入。アメリカ式の流れ作業のシステムで製造工程の合理化を行った。 サイズの呼称も、「Y体」「A体」「AB体」「B体」等29種類展開したのもトロージャンが初で、それが業界全体に広がることになった。日本人の前屈体型にフィットさせるため肩の形状も変更。これにあわせて湾曲したハンガーも開発。これも業界初の試みだった。 発売時の価格は、毛100%の生地を使用したスーツで13,000円からで オーダースーツと変わらない価格水準ながら大成功を収めた。 1966年、CMに[[ダーク・ダックス]]、1970年代は[[ジュリアーノ・ジェンマ]]等を起用し話題を呼んだ<ref>[http://www.daiwa-dp.co.jp/selection/data/1242878738.html TROJAN トロージャン おかげさまで50周年]</ref>。現在も「お台場仕立て、脇ざし、尻シック、キュプラ裏地」などワンランク上の仕様を採用するなど進化し続けている<ref>[https://www.facebook.com/daimaru.tokyoten 大丸Facebook TROJAN HISTORY]</ref>。 == 店舗 == === 直営店 === {{商業施設 |社色 = #008080 |文字色 = #fff |名称 = 大丸心斎橋店 |画像 = Daimaru Shinsaibashi Kitakan.JPG |画像説明 = 大丸心斎橋店北館 |正式名称 = |施設所有者 = |施設管理者 = |前身 = |後身 = |敷地面積= |商業施設面積= 約77,000 |延床面積= |店舗数 = |駐車場数 = |商圏人口 = |開業日 = [[1726年]](享保11年)大阪店「松屋」 |閉店日 = |営業時間 = |最寄駅 = [[大阪市営地下鉄御堂筋線]][[心斎橋駅]]5番出口前 |最寄IC = |位置 = {{ウィキ座標度分秒|34|40|24.0|N|135|30|2.5|E|region:JP|name=大丸心斎橋店}} |所在地郵便番号 = |所在地 = [[大阪府]][[大阪市]][[中央区 (大阪市)|中央区]][[心斎橋筋]]一丁目7番1号 |外部リンク = {{Official|http://www.daimaru.co.jp/shinsaibashi/index.html}} |グループ社色 = #399 |グループ文字色 = #fff |グループ文字フォント = Arial,'Liberation Sans',sans-serif |グループ = DAIMARU }} ; 心斎橋店 : 1726年(享保11年) 大坂[[島之内]]の木挽町北之丁(現・[[中央区 (大阪市)|中央区]][[心斎橋筋]]一丁目)に大坂店「松屋」開店。 : 1867年(慶応3年) 大坂地図「'''浪華名所独案内'''」に「大丸呉服店」として記載された。 : 1920年(大正9年)4月16日 「株式会社大丸呉服店」の「本店」に定めた。同年、失火により全焼<ref>。[http://blog.goo.ne.jp/luckyhillson/e/61dfe40b5a79177a7a29c857305647a6 御堂筋の大丸心斎橋店の歴史]</ref> : 1922年(大正11年) 再興のため店舗新築。第1期工事完成。設計は[[ウィリアム・メレル・ヴォーリズ]]。 : 1925年(大正14年)9月 第2期工事竣工。中央玄関上部に[[テラコッタ]](陶製)のピーコック([[クジャク|孔雀]])が掲げられた。ピーコックはファッションのシンボルとして、以来大丸のシンボルとなった。 : 1933年(昭和8年) 第3期工事が完成。[[アール・デコ]]の重厚な[[近代建築]]を今も伝える建築物として、[[DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築]]に選定されている。本館・南館の2館体制時の店舗面積は37,490m²だった。 : 2009年11月14日 隣接する[[そごう心斎橋本店]]が営業不振により閉店したため建物を買収。大丸の北館としたため77,000m²の最大規模の店舗となった<!--心斎橋店拡張の計画より梅田店拡張の計画の方が先だった-->。 : 2011年度下半期 ファッションデザイナー [[小篠綾子]]の生涯を描いた[[日本放送協会|NHK]][[連続テレビ小説]]『[[カーネーション (テレビドラマ)|カーネーション]]』が放送された。11月に主人公が「心斎橋百貨店」に制服を売り込みに行くエピソードがあったが、1932年(昭和7年)当時心斎橋にあった百貨店はこの大丸心斎橋店だけである。その縁で、放送終了後の2012年4月25日-5月1日に期間限定で岸和田コシノショップが出店した<ref>岸和田市観光振興協会公式サイト「岸ぶら」2012/04/25</ref>。また、娘[[コシノヒロコ]]も同店は勿論、ほとんどの大丸にショップを出店している。 ; 梅田店 : {{Main|大丸梅田店}} : 1983年開店。大阪市[[北区 (大阪市)|北区]] : [[大阪駅]]駅ビル[[大阪ターミナルビル|サウスゲートビルディング]](2011年3月16日に、旧・アクティ大阪より改称)地下2階から地上15階。店舗面積は従来の40,416m²だったものが、2011年3月から順次増床部分が開業した後、同年4月19日のグランドオープン時には既存部分と合わせて、64,000m²となった。「新百貨店モデル」の集大成として、「[[東急ハンズ]]」や「[[ユニクロ]]」、また「[[ポケモンセンター|ポケモンセンターオーサカ]]」(2010年11月26日に先行して開店)など大規模なテナントが出店している。 {{商業施設 |社色 = #008080 |文字色 = #fff |名称 = 大丸京都店 |画像 = Daimaru Kyoto.JPG |画像説明 = |正式名称 = |施設所有者 = |施設管理者 = |前身 = |後身 = |敷地面積= |商業施設面積= 約50,830 |延床面積= |店舗数 = |駐車場数 = |商圏人口 = |開業日 = [[1736年]] |閉店日 = |営業時間 = |最寄駅 = [[京都市営地下鉄]][[四条駅]]<br />[[阪急電鉄]][[烏丸駅]] |最寄IC = |位置 = {{ウィキ座標度分秒|35|0|15.2|N|135|45|43.4|E|region:JP|name=大丸京都店}} |所在地郵便番号 = |所在地 = [[京都府]][[京都市]][[下京区]][[四条通]]高倉西入立売西町79番地 |外部リンク = {{Official|http://www.daimaru.co.jp/kyoto/index.html}} |グループ社色 = #399 |グループ文字色 = #fff |グループ文字フォント = Arial,'Liberation Sans',sans-serif |グループ = DAIMARU }} ; 京都店 : 1717年(享保2年) 創業地'''[[伏見区|伏見]]京町北8丁目'''は、[[京阪電気鉄道|京阪電鉄]][[丹波橋駅]]北方。中心地ではなく郊外だった。 : 1729年(享保14年) 「仕入れ店」を置いた'''[[柳馬場通|柳馬場]][[綾小路通|綾小路]]'''は、現在地より東南東方向200mに位置。 : 1736年(元文元年)大丸総本店「大文字屋」を構えた'''[[東洞院通|東洞院]]船屋町'''は、市営地下鉄[[烏丸御池駅]]付近と現在地より1駅北隣に位置していた。 : また、1863年(文久3年)[[新選組]]が揃いの割羽織を調達に訪れたのは、これとはまた別に設けられた「'''松原店'''」で[[松原通 (京都市)|松原通]]御幸町・寺町間の北側<ref>[http://miburou.blog103.fc2.com/blog-entry-350.html 新選組&幕末 ばんざい!!]</ref>。京阪電鉄[[清水五条駅]]から[[鴨川 (淀川水系)|鴨川]]の東岸だった。 : 1912年(明治45年)「京都大丸」'''[[四条烏丸]]'''に開店。ここが現在の京都店の所在地である。<br />現・京都店の店舗面積は50,830m²。心斎橋店と同じくヴォーリズ設計であるが、[[四条通]]側の外壁は改装されている。なお、下村家の邸宅であった京都・烏丸丸太町上ルの大丸ヴィラ「中道軒」はチューダー・[[ゴシック]]様式の豪壮な建築として知られている。 : この建物の他、5つの「周辺店舗」がある。 * 大丸恒和ビル '''[[ルイ・ヴィトン]]ストア''' * 大丸東洞院入口向い '''A.P.C''' * 日本生命四条ビル1-2F '''エンポリオ・[[アルマーニ]]'''、'''大丸リラクシングガーデン京都''' * 京都ダイヤビル '''[[ボッテガ・ヴェネタ]]'''、'''ジョゼフ・ザ・ストア''' * グランドキューブ四条ビル '''ハウス・オブ・[[ジル・スチュアート]]''' : なお、同じ京都四条に所在する[[藤井大丸]]は、全くの別会社である。 :; 山科店 :: 1998年開店。京都市[[山科区]]竹鼻竹ノ街道町91 :: [[西日本旅客鉄道|JR西日本]][[東海道本線]]・[[京阪京津線]]・[[京都市営地下鉄東西線]] [[山科駅]]2番出口「ラクト山科ショッピングセンター B棟 地下1階-地上2階(開店時は4階まで)。店舗面積5,960m²(開店時は9,260m²)。 :: 京都店の分店であり、「やましな店(みせ)」とも呼ばれている。近年は衣料品販売が低迷し、2010年8月31日以降、規模を縮小した(2011年4月29日から地上3階から地上4階は[[ニトリ]]ラクト山科店が入居)。 :: ※松坂屋高槻店も<!--親会社(J.フロント)の-->運営上、京都店の分店扱いとなっている。 {{商業施設 |社色 = #008080 |文字色 = #fff |名称 = 大丸神戸店 |画像 = Daimaru Kobe Kyukyoryuchi.jpg |画像サイズ = 270px |画像説明 = |正式名称 = |施設所有者 = |施設管理者 = |前身 = |後身 = |敷地面積= |商業施設面積= 約50,656 |延床面積= |店舗数 = |駐車場数 = |商圏人口 = |開業日 = [[1913年]](大正2年)「神戸支店」開業。<br />[[1927年]](昭和2年)現在地へ移転。 |閉店日 = |営業時間 = |最寄駅 = [[神戸市営地下鉄]][[旧居留地・大丸前駅]]<br />[[西日本旅客鉄道|JR西日本]]・[[阪神電気鉄道]][[元町駅 (兵庫県)|元町駅]] |最寄IC = |位置 = {{ウィキ座標度分秒|34|41|19.5|N|135|11|24.4|E|region:JP|name=大丸神戸店}} |所在地郵便番号 = |所在地 = [[兵庫県]][[神戸市]][[中央区 (神戸市)|中央区]]明石町40番地 |外部リンク = {{Official|http://www.daimaru.co.jp/kobe/index.html}} |グループ社色 = #399 |グループ文字色 = #fff |グループ文字フォント = Arial,'Liberation Sans',sans-serif |グループ = DAIMARU }} ; 神戸店 : 1913年(大正2年)神戸・[[元町 (神戸市)|元町]]四丁目に「大丸呉服店神戸出張所」として開業。 : 1927年(昭和2年)[[明石町 (神戸市)|明石町]](現在地)に移転。その後増改築を繰り返し、本館、西館(元[[日本生命]]ビル)と南館、別館(旧居留地38番館)、アネックス([[三菱東京UFJ銀行]]ビル)で1ブロックを構成している。本館ビル設計は[[村野藤吾]]。38番館はヴォーリズ設計の[[シティグループ|旧ナショナル・シティバンク]]神戸支店の建物。 : 1995年 [[阪神・淡路大震災]]で、最も古い[[トアロード]]側の本館が損壊。売り場の三分の二を失い、以降部分営業をしていた。 : 1997年 本館解体後、新ビルを建設。地下2階地上10階、店舗面積50,656m²となる。施工は大林・戸田・三菱・北野共同企業体で総工費は200億円。[[旧居留地]]のモダンな雰囲気を守るという観点から、外装には[[花崗岩|御影石]]が用いられ、北側と東側にコリドール(回廊)、[[ガス灯]]23基を配するなど、近代洋風建築の意匠を取り入れたものになった。特に、夜間の[[ライトアップ]]された姿は幻想的で、日本で最も美しい百貨店の呼び声も高い。再オープンの3月2日初日には震災前の休日を上回る12万人が来店、10億円を売り上げ、<ref>KOBE MARKS 神戸市内の建築物データベース, 神戸新聞 1997/3/3,他</ref>長らく売上で水をあけられていた「そごう神戸店」を抜き、地域一番店となった。 : 神戸店には多数の「周辺店舗」がある。主なものは以下の通り。 * [[旧居留地38番館]] - '''[[エルメス]]'''、'''[[コム・デ・ギャルソン]]'''他 * [[ジーニアスギャラリー]](デビスビル) - '''ナノ ・ユニバース'''他 * NTT西日本神戸ビル - '''[[三宅一生|イッセイミヤケ]]'''他 - * BLOCK47(ニッケビルディング) - '''[[グッチ]]'''、'''[[イヴ・サン=ローラン]]''' * BLOCK44(神戸御幸ビル)'''エンポリオ・アルマーニ'''、、'''[[フェンディ]]'''他 * BLOCK30(大丸カーポート) - '''[[ドルチェ&ガッバーナ]]'''、'''[[マリオ・ヴァレンティーノ]]'''他 * 大丸インテリア館 - '''ル・スティル''' * 興和ビル - '''[[バーバリー]]・インポート''' * OTC神戸ビル - '''ジル・スチュアート''' * ホテルヴィアマーレ - '''[[プラダ|ミュウミュウ]]''' 他 :; 須磨店 :: 1980年開店:神戸市[[須磨区]]中落合二丁目2番4号 :: 神戸市営地下鉄西神・山手線「[[名谷駅]]」前「[[OMこうべ|須磨パティオ]]」地下1階-地上4階。店舗面積13,076m²。 :: 1980年「株式会社ダイマル須磨店」として開店。2001直営化、神戸店の分店となった。 :; 芦屋店 :: 1980年開店:[[兵庫県]][[芦屋市]])船戸町1-31 :: [[芦屋駅 (JR西日本)|JR芦屋駅]]直結店舗、店舗面積4,300m²。 :: 1980年「株式会社ダイマル芦屋店」として開店。2001年直営化、神戸店の分店となった。 :; 大丸インテリア館 ミュゼ エール :: 2003年開店。神戸市東灘区向洋町中6-9 :: 六甲ライナー「アイランド」駅前「神戸ファッションマート」2F {{商業施設 |社色 = #008080 |文字色 = #fff |名称 = 大丸東京店 |画像 = GranTokyo North Tower.JPG |画像サイズ = 220px |画像説明 = |正式名称 = |施設所有者 = 三井不動産ビルマネジメント |施設管理者 = |前身 = |後身 = |敷地面積= |商業施設面積= 約46,000 |延床面積= |店舗数 = |駐車場数 = |商圏人口 = |開業日 = [[1954年]](昭和29年) |閉店日 = |営業時間 = |最寄駅 = [[東日本旅客鉄道|JR東日本]]・[[東海旅客鉄道|JR東海]]・[[東京メトロ]][[東京駅]]八重洲口 |最寄IC = |位置 = {{ウィキ座標度分秒|35|40|53.7|N|139|46|8.2|E|region:JP|name=大丸東京店}} |所在地郵便番号 = |所在地 = [[東京都]][[千代田区]][[丸の内]]一丁目9番1号 |外部リンク = {{Official|http://www.daimaru.co.jp/tokyo/index.html}} |グループ社色 = #399 |グループ文字色 = #fff |グループ文字フォント = Arial,'Liberation Sans',sans-serif |グループ = DAIMARU }} ; 東京店 : 1954年10月(株)鉄道会館 八重洲本館に開店(賃貸入居)<ref>[http://www.tokyoinfo.com/company/corporate/history.php 鉄道会館沿革]</ref>。店舗面積31,500m²。 : 旧.大丸呉服店が明治期に閉店して44年ぶりの東京再進出。開店初日には20万人が来店した。 :その際、既に月賦の「大丸百貨店」(現.[[井門グループ|井門エンタープライズ]])が東京でチェーン展開していたため「名前の競合」が問題になり二社間で協議が持たれた。 :その結果、百貨店の(下村)大丸には百貨店をつけず「株式会社大丸」、月賦の(井門)大丸には百貨店をつけ「株式会社大丸百貨店」とすることが取り決められた。(井門)大丸には、広告宣伝においては愛称として「ライフアップ大丸」とも称し、マークは(下村)大丸とは全く異なるデザインを使用していた<ref>[http://train.ap.teacup.com/yoshihiro/842.html 拝啓井門義博です大丸OB会]</ref>。 : 同店開業以来、東京駅及び京都駅には「'''行きも大丸、帰りも大丸'''」というキャッチコピーの広告が掲示されるようになった。 : 2007年10月31日 一旦閉店。同ビルは、[[ペデストリアンデッキ]]「グランルーフ」と駅前広場整備のため取り壊された。 : 2007年11月6日 [[グラントウキョウ]]ノースタワー(現在地)に移転。住所は 右表参照。 :2段階に分けて建替えられ、第1期分では地下1階 - 13階 店舗面積34,000m²に入居。 :第2期工事終了後 2012年10月5日 46,000m²に増床、グランドオープン 地下3階駐車場も完備した。 :; 浦和パルコ店 :: 2007年「大丸フードマーケット」として開店。[[さいたま市]][[浦和区]]東高砂町11-1 :: [[東日本旅客鉄道|JR東日本]][[東北本線]]「[[浦和駅]]」東口正面「浦和パルコ」地下1階。 :: 店舗面積4,000m²。東京店の分店。食品売り場に特化した業態での出店。 {{商業施設 |社色 = #008080 |文字色 = #fff |名称 = 大丸札幌店 |画像 = Daimaru JR Sapporo Sta01n4272.jpg |画像説明 = |正式名称 = |施設所有者 = |施設管理者 = 札幌駅総合開発 |前身 = |後身 = |敷地面積= |商業施設面積= 約45,000 |延床面積= |店舗数 = |駐車場数 = |商圏人口 = |開業日 = [[2003年]](平成15年)3月6日 |閉店日 = |営業時間 = |最寄駅 = [[北海道旅客鉄道|JR北海道]]・[[札幌市営地下鉄]][[札幌駅]] |最寄IC = |位置 = {{ウィキ座標度分秒|43|4|3.5|N|141|20|57.8|E|region:JP|name=大丸札幌店}} |所在地郵便番号 = |所在地 = [[北海道]][[札幌市]][[中央区 (札幌市)|中央区]]北5条西四丁目7番地 |外部リンク = {{Official|http://www.daimaru.co.jp/sapporo/index.html}} |グループ社色 = #399 |グループ文字色 = #fff |グループ文字フォント = Arial,'Liberation Sans',sans-serif |グループ = DAIMARU }} ; 札幌店 : 2003年開店。[[札幌市]][[中央区 (札幌市)|中央区]] : [[札幌駅]]南口[[JRタワー]]西ブロック。店舗面積45,000m²。 : 札幌店はパート・アルバイトの活用によって正社員を最小限に抑えるなどの合理化を図ったため、出店後半年で営業黒字を達成した<ref>この成功を受け、同様の合理化は他店舗でも行われることとなった。</ref>。また、その立地環境の良さも手伝い、2009年からは老舗の丸井今井を抜き、地域一番店となっている。 : なお、同じ南一条に所在する[[大丸藤井セントラル]]は、全くの別会社である。 === 関連会社の店舗 === '''[[松坂屋]]'''については当該項目を参照されたい。 ==== 連結子会社運営店舗 ==== ; [[博多大丸]] 福岡・天神店 : 1953年開店。1975年現在地に移転:[[福岡市]][[中央区 (福岡市)|中央区]])[[天神 (福岡市)|天神]]1-4-1 [[福岡市交通局|福岡市営地下鉄]] [[天神南駅]] 3番出口。 : 本館=[[西日本新聞社|西日本渡辺ビル]]地下2階-地上8階+東館「エルガーラ」地下2階-地上6階。店舗面積44,192m²。 : 法人としては本体に次ぐ規模にあり、J.フロントグループにおいても九州地区の重要拠点と位置づける。 ; [[下関大丸]] : 1950年開店。1977年現在地に移転。[[山口県]][[下関市]]竹崎町4-4-10 : JR西日本[[山陽本線]][[下関駅]]前「[[シーモール下関]]」地下1階-地上8階。店舗面積23,912m²。 : 以前は[[マルハ]]グループの資本がメインだった。 ; [[高知大丸]] : 1947年開店。[[高知市]]帯屋町一丁目6番1号。 : [[とさでん交通]]「[[はりまや橋停留場|はりまや橋]]」電停下車、京町商店街。店舗面積16,068m²。 :: '''高知大丸四万十プラザ''' :: 土佐くろしお鉄道中村駅徒歩3分。高知大丸唯一の支店。高知県四万十市駅前町274番地。500㎡ほど。 ==== 非連結関連会社運営店舗 ==== ; [[鳥取大丸]] : 1937年「丸由百貨店」開店。1949年業務提携し「鳥取大丸」に社名変更<ref name="daimaru-tottori">{{Cite web|url=http://www.daimaru-tottori.co.jp/ |title=鳥取大丸 |publisher=鳥取大丸 |accessdate=2012-4-29 }}</ref>、1975年現在地に移転<ref name="kuramochi-2005">{{Cite journal | author =倉持裕彌 | title = 調査研究報告 地域生活空間 鳥取市の中心市街地商店街活性化に関する考察―社会構造の変化を踏まえて― | journal = TORCレポート No.26 | publisher = とっとり地域連携・総合研究センター | issue = 2005}}</ref>。):出資比率14%<ref name="j-front-annual-review-2011">{{Cite report |date=2011-7-9 |title= J.フロント リテイリング Annual Review 2011 |publisher= J.フロント リテイリング }}</ref>。鳥取市今町2-151 : JR[[山陰線]][[鳥取駅]]前 ホテル[[ニューオータニ]]隣 地下1階-地上5階。店舗面積11,973m²<ref name="natina-land-developping-base-2000-6-9">{{Cite report |year=2000 |mounth=6 |title=国土審議会調査改革部会 第4回国際連携・持続的発展基盤小委員会配付資料 人口減少下での活力ある地域社会と二層の広域圏形成に資する国土基盤の現状と課題(資料編) |publisher=[[国土審議会]]調査改革部会 }}</ref>建物はニューオータニともども黒川紀章の設計によるもの。別館 アネックス203、ファッション館「アクア」、空港売店もある。 ; [[大丸コム開発]] : J.フロントリテイリング株式会社100%出資会社。1982年設立(大丸企画開発)。以下の商業施設の管理運営業務他、新規開発やリニューアルも行う。 * '''ホワイトアベニュー''' 心斎橋 大阪ホテル日航ビル1F・B1F 2,526.6m² 1982年開業。 * '''ビッグ・ステップ''' 心斎橋 アメリカ村 970.1m² 1993年開業。 * '''クリスタ長堀地下街''' 大丸心斎橋店北側長堀通り地下街 8,652.9m² 2006年より管理運営。(賃貸管理はクリスタ長堀株式会社) * '''大丸羽田空港店''' 第1ターミナル マーケットプレイス4F 386.6m² 1999年開業。管理運営。 * '''カトレヤプラザ伊勢佐木''' 旧.横浜松坂屋 7,400.0m² * '''カトレヤプラザ高島平''' ピーコックストア高島平店2F、1364.45m² * '''ピーコックプラザ洋光台''' ピーコックストア洋光台店2F、929.11m² * '''オトカリテ''' ピーコックストア千里中央店 1-3F、約5,000 ==== 自主編集売場 ==== ; サロン・ド・グゥ・ブランシェ : 特選ブランド・インポート雑貨のセレクトショップ 心斎橋店、神戸店、福岡天神店 ; サロン・ド・グゥ : 特選ブランドウェアのセレクトコーナー 神戸店、京都店、札幌店 ; サロン・ド・グゥ・オム : メンズ特選ブランド・インポート雑貨のセレクトコーナー 心斎橋店、神戸店、東京店 ; ufufu girls(うふふガールズ) : 18 - 34歳の女性をターゲットにした低価格帯のカジュアルな衣料品・雑貨のフロア。2009年11月14日に心斎橋店北館の地下1・2階に開設し、好評となった。その後2010年度は、4月22日には京都店の1・2階に、10月22日には[[松坂屋]]銀座店の本館1・2階に開設された。翌2011年度は、2月23日には神戸店の3階に、3月23日には札幌店2階に、また梅田店でも増床リニューアルオープンにあわせ(同年4月19日にグランドオープン)、同店の1階と5階に開設された。さらに2012年度は、3月2日に松坂屋名古屋店の南館2階にも開設された。 == 過去に存在した店舗 == === 国内店舗 === * '''町田店・町田大丸 プラザビーミー''' *: 東京都[[町田市]]原町田6-2-6 [[小田急グループ|小田急]][[町田駅]]西口、[[小田急百貨店]]隣。1971年 関東地区2号店「大丸町田店」として開店。1980年ごろ「町田大丸」に分社、「プラザビーミー」としてリニューアル。2000年2月27日に閉店。建物は[[丸井]]に売却され、2001年2月21日「マルイビィ(OIOIbe)町田」(後の[[モディ#町田モディ|町田モディ]])となった。 *: 本項無関係:※大丸ホームショッピング受注センター及び[[配送|配送センター]]も隣接地域([[相模原市]][[南区 (相模原市)|南区]]上鶴間本町)に在ったが、町田大丸が閉店の数年後に閉鎖された。 * '''八王子大丸''' *: 1972年開店-1985年閉店。東京都[[八王子市]]横山町18-7 JR中央線[[八王子駅]]北口 [[甲州街道]]沿い。[[八王子市|八王子]]は「[[神奈川往還|絹の道]]」として輸出用の生糸が運ばれた要所。江戸進出時の風呂敷のことが「八王子織物史」で語られるほど縁の深い町だった。1970年に東京近郊(都心から50km)のベッドタウンとして注目され人口が25万を突破。[[伊勢丹#過去に存在した伊勢丹の店舗|伊勢丹]](1969)、[[西武百貨店#過去の西武百貨店の店舗と現在|西武百貨店]](1970)に続き、3番手の百貨店として開店([[丸井]]、[[ダイエー]]よりも後)。各社がしのぎを削っていた。大丸は駅から一番遠いところにあったが、逆に一番駅よりの伊勢丹の方が先に撤退している。大丸閉店の引き金になったのは、1983年の「[[JR東京西駅ビル開発#運営施設|八王子そごう]]」の駅ビル進出だった。 *:大丸が撤退したビルは[[忠実屋]]により[[ファッションビル]]「FAM」として営業されたが、同社を合併したダイエーが2001年2月9日に本館および別館の土地・建物を日本中央地所とセントラル地所に売却<ref>[http://news.nissyoku.co.jp/Contents/urn/newsml/nissyoku.co.jp/20010223/nss-8810-0017/1 日本食糧新聞]</ref>。建物は解体され、2003年03月に[[長谷工コーポレーション]]により高層マンション「マクシスタワーズアーバンデュオ」が建設された。午後6時30分の閉店5分前に、ロバート・マクスウェル「引き潮」の楽曲に乗せた終了放送「ラストポエム」が流れた。 * '''[[ららぽーと横浜]]店''' *: [[横浜市]][[都筑区]]池辺町4035-1(JR[[横浜線]][[鴨居駅]]より徒歩7分)2007年開店-2013年1月31日閉店。店舗面積4,000m²。浦和パルコ店と同様、東京店の分店扱い、食品売り場に特化した業態「大丸フードマーケット」としての出店。 [[File:Daimaru Shin-Nagata.JPG|thumb|200px|大丸新長田店]] * '''新長田店''' *: 神戸市[[長田区]]若松町5-5-1 [[ジョイプラザ (ショッピングセンター)|ジョイプラザ]] 1977年開店-2013年1月31日閉店<ref>{{cite news | url=http://mainichi.jp/select/news/20120626k0000m020045000c.html | title=大丸新長田店:来年1月末で閉店 | work=[[毎日jp]] | date=2012-06-25 | agency=[[毎日新聞社]] | accessdate=2012-06-25}}</ref>。 *: 店舗面積9,091m²。神戸店の分店扱いの生活密着型店舗。後継テナントには[[西友]]が入る。 * '''和歌山店''' *: [[和歌山市]]元寺町1-25 富士アイスビル 和歌山バス「[[ぶらくり丁商店街|ブラクリ丁]]」バス停前。1971年開店-1998年閉店。 *:売り場面積4000平方mの小型店、心斎橋店の分店扱い。 *:閉店後、[[和光デンキ]]のアウトレット店、[[大創産業|ダイソー]]などを経て、現在は[[ドン・キホーテ (企業)|ドン・キホーテ]]和歌山店となっている。 * '''米子大丸''' *: [[鳥取県]][[米子市]]西福原2-1-10 JR[[境線]] [[富士見町駅 (鳥取県)|富士見町駅]]下車 [[鳥取県道317号両三柳西福原線|外浜産業道路]] [[サンルートホテルチェーン|ホテルサンルート]]向かい 1963年12月「米子ストア」開店。1971年「米子大丸」に社名変更。1987年に現「米子しんまち[[天満屋]]」に営業譲渡。現「米子しんまち[[天満屋]]」が開店する1990年まで、米子駅前通り東町にあった米子大丸をそのまま、(株)米子天満屋が経営していた。 * '''別子大丸・[[新居浜大丸]]'''(旧.別子百貨店) *: [[愛媛県]][[新居浜市]]西原町3丁目1-26 [[瀬戸内運輸|せとうちバス]]「西原町3丁目」停留所下車 昭和通り商店街。地上4階建て、売り場面積7,457m² *:1950年「別子百貨店」開店。1951年、資本参加により「別子大丸」、1975年「新居浜大丸」に社名変更。 *:2001年[[イオンモール新居浜|イオン新居浜ショッピングセンター]]開設を前に閉店、大丸跡地には現在、地元スーパー「[[ママイ]]」の店舗が建っている。(一時期閉店したがリニューアルし再オープン) * '''[[今治大丸]]'''(旧.大洋デパート) *: 愛媛県今治市常盤町4-1-18 せとうちバス「今治バスセンター」そば 1962年「大洋デパート」開店。1974年、資本参加により「今治大丸」に社名変更。2008年12月31日閉店。 * '''[[博多大丸#長崎店|長崎大丸]]'''(旧.岡政百貨店) *: 長崎市浜町4-11 1934年5月22日「岡政百貨店」開店。1969年3月提携。1987年、岡政100%出資の新会社「株式会社長崎大丸」を設立。1988年営業権の譲渡。2003年、企業再編により博多大丸に吸収合併「博多大丸・長崎店」となった。2011年7月31日閉店。店舗面積9,176m²。店舗解体済み。2014年秋、エフ・ジェイホテルズにより「ホテルフォルツァ長崎」が新築オープンする<ref>[http://www.atpress.ne.jp/view/33754 エフ・ジェイ ホテルズ プレスリリース 2013年03月04日]</ref>。 === 海外店舗 === * '''香港大丸'''百貨公司 : 1960年11月3日開店。1998年12月31日閉店。 : [[香港]] [[銅鑼湾]](コーズウェイベイ)記利佐治街(グレートジョ-ジストリート)と百德新街(パターソンストリート)交差点に立地。売り場面積5,400+5,600㎡<ref>日興リサーチセンター「香港―経済・産業・主贅企業の概要」1993年12月 http://www.wako.ac.jp/souken/touzai95/tz9504hyo2.html</ref>。 : 香港商人・張玉良との合弁会社。大丸出資率51%。日本の百貨店のアジア進出1号店で、取り扱い商品の6割が日本製品という中流-高級路線の店だった。開店前は、香港市民に受け入れられるか不安なまま開店を迎えたが、開店初日に10万人の客が詰め掛け、準備した品物の大半が売切れてしまう等、香港市民に支持され大成功を収めた。 : 香港大丸が開店した頃の店舗周辺は、倉庫が立ち並ぶ場所であったが、大丸開店後は数々のショップが出展してゆき、現在では香港随一の繁華街になった。大丸は地域のランドマークになり、ミニバスの行き先も「銅鑼湾」ではなく「大丸(DAIMARU)」と表示されていた。 : 1983年には、維多利亞公園(ヴィクトリアパーク)の京士頓街(キングストン)2号店としてスーパー・マーケットを開設。2階建てで1階にスーパーが入り、2階には[[旭屋書店]]が入店していた他、様々な商品を取り扱っていた。またこの頃には、大丸の後を追う様に次々と日系百貨店が銅鑼湾地域に出店し、売上を競っていた。 : 1990年代に入ると、銅鑼湾では家賃高騰が続いた。その為記利佐治街の店舗の存続は断念し、スーパー部門だけを残した<ref>ウィキペディア中国語版からの抜粋翻訳</ref>。 : スーパー部門は引き続き人気があったが、家賃高騰が続いた上に、1997年の[[アジア通貨危機]]の影響で香港の景気も低迷して業績も悪化した結果、これ以上の経営は困難と判断され、1998年6月25日に年内閉店を発表した。発表は、香港住民に衝撃を与え、閉店を惜しむ声が数多く寄せられたほか、12月31日の閉店日には、38年の間愛されてきた老舗の撤退に際して、現地テレビ局は特集番組を放送した。 : 跡地には他のテナントが入居したが、2012年からは、銅鑼湾店舗跡に[[イオン (企業)|イオン]]ストアーズ香港が「[[マックスバリュ]]・プライム」を出店している。ミニバスの行き先は、現在も「大丸(DAIMARU)」のままであり、今も銅鑼湾に大丸があった事を伝える存在となっている。 * '''[[:zh:建台大丸|建台大丸]]'''百貨公司 : 台湾「建台水泥」(チェンタイ・セメント)100%出資会社で、大丸とはノウハウの提供とブランドだけの提携だった。 :* [[高雄市|高雄]]店 1999年10月23日開店。2000年閉店。建台水泥が建設した高層ビル「[[高雄85ビル|高雄85大楼]]」の地下1階から地上7階に入居。同ビルは地上85階建(高さ378m)、当時台湾一の高さということで話題になった。しかし、売上は非常に悪く、大丸側は提携契約を破棄、同店は閉店に追い込まれた。2012年、出店していたフロアは裁判所による強制競売に掛けられた<ref>台湾通信 2012.08.20</ref>。 :* [[台中市|台中]]店 1999年5月2日開店。2000年に閉店。この物件も建台水泥が設立した「台中[[:zh:晶華酒店|晶華酒店]]」(グランドフォルモサリージェント。ホテル)1-10階に入居。同様に早期に撤退することになった。 * '''タイ大丸''' 現地法人:Thai Daimaru Co., Ltd. : 1964年 創業。首都[[バンコック]]の中心地[[ラーマ4世通り]]・[[ラーチャダムリ通り|ラーチャダムリ]]に1号店を開店。 : 1980年 [[プラカノン駅|プラカノン]]支店開店。[[バンコク・スカイトレイン]]の新駅ができる前提で出店したが、建設が20年遅れ、同地は日本人があまり訪れることない下町エリアだったため、ネイバーフッド型スーパー・マーケットとして運営することになった。 : 1980年代 タイは高度成長期に入り、1983年の[[:en:J.W._Robinson's| ロビンソン百貨店]]を皮切りに外資系が続々進出した。日系もアマリン[[そごう]](1984年)、MBK[[東急百貨店]](1985年)[[ジャスコ]]・ラチャダー店(1985年)、そして1992年、大丸ラチャダムリ本店向いにはセントラル・ワールドが建設され[[伊勢丹]]が進出。1995年までに36の百貨店が開店した。 : 1997年 [[アジア通貨危機]]により、タイの財閥大手が、チェーン店経営から手を引いたため、[[テスコ]](イギリス)、[[:en:Big C|ビッグC]](イギリス)、[[カルフール]](フランス)は本国主導に変り、市場構造が激変することになった<ref>[http://www.umds.ac.jp/kiyou/r/R24-1/069-091.pdf 欧州企業のタイ流通・小売市場参入]</ref>。大丸はリストラの一環として自社所有株式の25%をタイ地場資本プレミアグループに売却。プラカノン支店を閉店(跡地には高級マンション「ホープランド・エグゼクティブ・レシデンス・スクンビット46」が建設された)。 : 1998年 ラチャダムリ本店を閉鎖し、郊外移転(旧店跡地にはビッグCが開店)。 : [[シーナカリン通り]]沿線ショッピングモール「セーリー・センター」に[[オ・プランタン]](フランス)と共に入居。すぐ隣に「シーコンスクエアー」も建設され、こちらにはロビンソンとテスコが入居。結果としてシーコンスクエアーの圧勝。オ・プランタンはすぐに撤退し、大丸も1999年閉店することになった。 : 同地は、旧店のあった市街地から遠く、従来から利用していた日本人街の住民が日常使用するには不便な場所となっていた。セーリー・センターのデベロッパーも、MBKとサイアム・ピワットに買収され2010年[[:en:Paradise Park (Mall)|パラダイスパーク]]となった。現在ここには、日系企業としては[[ロフト (雑貨店)|ロフト]]、[[ダイソー]]、[[大戸屋ホールディングス|大戸屋]]、[[やよい軒]]、[[壱番屋|CoCo壱番屋]]、[[8番らーめん]]、[[ミスタードーナツ]]等が出店している。 * '''大丸シンガポール''' 現地法人:Daimaru Singapore Pte Ltd. : 1987年[[:en:Liang Court|リャンコート]]店を開店。スーパーマーケットを含む3店舗を展開した。2003年閉店。 : [[シンガポール]]には日系百貨店が続々進出した。[[伊勢丹]](1972年)、[[ヤオハン]](1974年)、[[三越]](1977年)、[[名鉄百貨店]](1984年)、[[高島屋]](1995年)、そごう(1986年)、東急百貨店(1987年)、[[西友]](1995年)その中でも後発の大丸には日本の食料品(弁当・惣菜を含む)や書籍が充実しており、日本人ビジネスマンに支持されていたが、[[マス・ラピッド・トランジット (シンガポール)|MRT]]路線から外れた不便な場所だったのが敗因。 * '''大丸オーストラリア''' 現地法人:Daimaru Australia Ltd. :* [[メルボルン]]店 1991年9月11日開店。2002年7月閉店。21,011㎡。地下鉄セントラル駅直結。設計:[[黒川紀章]]。 : メルボルン市の都市再開発計画に沿って、[[熊谷組|クマガイ]]オーストラリア PTY.リミテッドが開発・建設した巨大ショッピングセンターに出店。対象顧客はオーストラリア人で、日本人観光客や駐在員ではなかったため、欧米流の[[マーチャンダイジング]]を行い、オーストラリアで一番のサービスを行う店との評価も高かった。 : しかし、オーストラリアで[[消費税]]が導入されたことにより消費が低迷、郊外型ショッピングセンターの台頭により売上が減少したことに加え、資本金の50%を出資していたクマガイ側が事業から撤退を決めたため会社清算することになった。 : 「先義後利」という哲学をオーストラリアに持ち込んで実現した大丸の閉店は現地で非常に惜しまれ、閉店セールには開店時以上の人でごった返した。 :* [[ゴールド・コースト]]店 1998年9月開店。2002年1月閉店。8,324㎡。 : 100%子会社だが「大丸オーストラリア・リテイル」という別会社。仕入れをメルボルン店に依存していたため、本店より先に閉店セールを実施。予想を超える客が殺到したため、予定より1ヶ月早く売りつくし閉店した<ref>[http://www.daimaru.co.jp/company/pdf/010925.pdf 大丸オーストラリア事業の撤退に関するお知らせ2001/9/25]</ref><ref>[http://www.kwansei-ac.jp/iba/entre/library/pdf/l_01_01.pdf 大丸の海外事業 - 関西学院大学 経営戦略研究科]</ref>。 * '''大丸フランス''' - パリ17区の[[パレ・デ・コングレ・ド・パリ]]内に出店。1998年撤退。 == セントラル・バイイング・システム == [[セントラル・バイイング]]・システムとは本部集中仕入れのこと。 本来、[[日本の百貨店]]は、[[チェーンストア]]ではないので中央仕入れは行わないものとされていたが、大丸には名古屋店に進出した江戸時代から、既にこの思想が存在した。 「'''正札現金掛け値なし'''」の'''[[一物一価の法則|一物一価制]]'''を実現するため、1729年 (享保14年) 京都 柳馬場綾小路に「仕入れ店」を置いたのがその始まり。呉服の生産地である[[丹後国|丹後]]や[[桐生市|桐生]]に担当者を常駐させ「本社集中仕入れ=セントラル・バイイング」を行う一方、販売にあたっては、「顧客目線=ダイレクト・マーケティング」もした。それこそが「先義後利」思想に基づく商売のあり方と創業者下村は考えて具体化していたのだった。 <ref>[http://www2.fukuicanon.co.jp/tamaki/quality/q040906.pdf 奥田務 私の経営]</ref> 1970 - 80年代、[[総合スーパー]]の台頭に対応して、大丸の出店していない地方の百貨店との連携も模索。即ち 中央仕入れ機構「'''大丸・松坂屋CBS(Central Buying System)グループ'''」<ref>教育社新書 産業界シリーズ「百貨店業界」、中元歳暮期カタログ他 J.フロントリテイリング・グループ広報</ref> で、1970年1月20日 以下の10社のグループが加盟。 トロージャン他大丸商品の供給、中元歳暮期のバーゲンセール及びギフトの共同企画・配送、商品券「'''ショピングボンド'''」等の相互利用を実施した。 * '''[[中三]]'''(五所川原、弘前)※1994年 ジャスコ(現.イオン)と提携。 * '''[[十字屋 (百貨店)|十字屋]]'''(山形、仙台、足利、千葉、木更津、館山、銚子、藤沢)※1982年 [[ダイエー]]と提携。 * '''[[マリーン5清水屋|清水屋]]'''(酒田)※1994年 中合と合併。 * '''[[大和 (百貨店)|大和]]'''(新潟、長岡、上越、富山、高岡、金沢) * '''[[山陽百貨店]]'''(姫路)※2007年 DIAグループ。 * '''[[天満屋]]'''(岡山、倉敷、福山、広島)※[[全日本デパートメントストアーズ開発機構 |伊勢丹A・D・O]]重複加盟。 * '''[[松屋 (福岡県)|大牟田松屋]]''' ※2004年 経営破綻のため閉店。 * '''岡政''' ※後の長崎大丸。 * '''[[山形屋]]'''(鹿児島、宮崎、沖縄)※伊勢丹A・D・O重複加盟。 1990年代に[[日本百貨店協会]]の「全国百貨店共通商品券」が登場し、「ショピングボンド」は廃止。 また、加盟店の中にはスーパーの傘下になるものが出てきたため、地方百貨店とのネットワークは消滅した。 しかし、松坂屋との提携は更に深化し、J.フロントリテイリンググループを形成するに至った。 なお、上記グループのほか、以下のようなスポット提携もあった。 1962年 '''[[小田急百貨店]]'''(新宿)との商品券の相互利用。 1994年 '''[[三越]]'''と配送業務提携。東京地区を三越、大阪地区を大丸が担当。翌1995年には三越と商品提携を行い、相互の商品が各店店頭に並べられた。 == 出店を断念した店舗(店名は仮称) == * 浜松店 *: [[静岡県]][[浜松市]]にあった[[松菱]]百貨店跡地の再開発で、地元不動産業者のアサヒコーポレーション・浜松市・大丸の三者で出店基本協定を締結。営業面積約34,000m²、地下4階地上9階建の規模で2010年開店予定であった。その後、多量の地下水による難工事を理由に開店の一年延期を発表。だが実際は、一部の地権者が交渉を強硬に拒否し着工の見通しが立たないのが理由であり、後日一部マスメディアでも報道された。これにより大丸は基本合意を解除した。浜松市長も2008年9月の市議会答弁に於いて用地取得の難航を認め、2011年秋の開店は不可能という見解を示した<ref>2008年9月13日付日本経済新聞紙面より</ref>。その後、急激な景気後退による消費不振が表面化する中、2009年1月26日、大丸側も正式に出店断念を発表した<ref>J.フロント リテイリング株式会社の2009年1月26日付プレスリリース「浜松市鍛冶町地区再生事業への出店の断念について」より</ref>。 * 広島店 *: 1960年代に[[広島市]]で、従来の地平施設であった[[広島バスセンター]]が、土地の有効活用などを目的にビルの建設について検討をし、その提案に[[そごう]]と共に出店を申し込んだものの、当初計画で1階にバス施設の配置が計画されていたことで、店舗へのアプローチが悪いことにより早期に辞退した。その後、1974年に[[そごう広島店|広島そごう]]が開店。 == 関連会社 == * '''[[ピーコックストア]]'''(旧大丸ピーコック。後に持株会社傘下から[[イオングループ]]傘下となり、現在は[[イオンマーケット]]となった。) * 大丸興業 *: [[ダイコー (釣具)|ダイコー]](大丸興業の釣具ブランド。1993年に分社化したが、2003年に大丸興業に吸収。) * J.フロント建装 * ディンプル([[人材派遣業]]) * 大丸情報センター * 大丸ホームショッピング * [[八重洲地下街]] == 大丸出身の著名人 == === 野球部 === * [[保井浩一]] : 一塁手([[1950年]][[北海道日本ハムファイターズ|東急フライヤーズ]]) * [[秋本祐作]] : 投手([[1956年]][[オリックス・バファローズ|阪急ブレーブス]]→[[広島東洋カープ]]→[[読売ジャイアンツ]]) * [[森本達幸]] : 投手([[1957年]][[奈良県立郡山高等学校]]監督) * [[足立光宏]] : 投手([[1959年]]阪急ブレーブス) * [[小林繁]] : 投手([[1971年]]読売ジャイアンツドラフト6位→[[阪神タイガース]]) * [[小田真也]] : 投手([[1981年]][[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]ドラフト3位) * [[矢野実]] : 投手(1981年[[福岡ソフトバンクホークス|南海ホークス]]ドラフト3位→オリックス・ブルーウェーブ→福岡ダイエーホークス) * [[岩切英司]] : 捕手([[1983年]]阪神タイガースドラフト6位→福岡ダイエーホークス) * [[蒲谷良充]] * [[坂東利則]] * [[溝部武夫]] === 競泳部 === * [[古川勝]]([[第16回夏季オリンピックメルボルン大会]]金メダリスト) * 後藤忠治(現:[[セントラルスポーツ]]社長、[[第18回夏季オリンピック東京大会]]出場) === その他 === * [[サトウサンペイ]]([[漫画家]]になる前は、宣伝部社員だった) {{see also|Category:大丸松坂屋百貨店の人物|Category:大丸硬式野球部及びその前身チームの選手}} == 提供番組 == === 現在 === ;テレビ * [[MBSテレビ|毎日放送]]「[[VOICE (ニュース番組)|VOICE]]」 2000年10月2日-現在 関西ローカル火曜 ※[[MBSナウ]] 1976年1月5日 - 2000年9月29日の後継番組。 * [[日本海テレビジョン放送|日本海テレビ]] 「鳥取大丸インフォメーション」ほか === 過去 === ;テレビ * [[大阪テレビ放送]] *: 「[[大丸ミュージカル・ショーウインドー (テレビ番組)]]」(スタジオバラエティ) 1956-1957年 製作 OTV * [[テレビ朝日|日本教育テレビ]]・毎日放送 *: 「[[ピーコック劇場 (テレビ番組) |大丸ピーコック劇場]]」(アニメ) 1963-1966年 製作 NET/東映動画 *: ・[[宇宙パトロールホッパ]]・[[ハッスルパンチ]]・[[海賊王子]] *: 後継「[[大丸名作劇場]]」(ドラマ)1966-1968年 製作MBS * [[TBSテレビ|TBS]]「もしもしスタジオ」1972年4月- 1976年3月 バラエティ * [[ABCテレビ|朝日放送]]「[[ワイドショー・プラスα]]」→「[[バラエティワイド こんな時α]]」・関西ローカル。西日本地域を中心にネット受けした[[TBSテレビ|TBS]](1975年3月28日まで)・[[テレビ朝日]](1975年3月31日以降)系列局([[名古屋テレビ放送]]・[[中国放送]]→[[広島ホームテレビ]]・[[RKB毎日放送]]→[[九州朝日放送]]等)は放送地域の地元企業・商店を中心とした別のスポンサーがついていた。 ;ラジオ * [[ABCラジオ|朝日放送]] 「ABCディスカバー・サタデー フレンドリー大丸」1972年・大丸サタデースペシャル * [[京都放送]]「アクションヤング大丸」 京都店屋上で公開録音。 * [[ラジオ関西]]「[[神戸発日曜午後一時]]」 * [[アール・エフ・ラジオ日本|ラジオ関東]]「大丸ミュージックスクエア」町田店、八王子大丸屋上で公開録音 ほか * [[文化放送]]「ミュージックスクエア 歌の百貨店」 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|2}} == 関連項目 == * [[大丸ヴィラ]](迎賓館) * [[阪神タイガース]](日本シリーズ優勝の際は、こちらで優勝セールを行う) * [[大和 (百貨店)|大和]](石川県・富山県を地盤とする地方百貨店。創業時は大丸との提携により「宮市大丸」を名乗っており、旧社紋は大丸旧社紋の丸を加賀藩主[[前田氏]]家紋の梅の形に置き換えた物を使用。経営統合前の大丸の株主でもあり、現在もJフロントリテイリングの株主。) * [[デッチーくん]] 元は京都店のマスコットキャラクター。大丸松坂屋百貨店の発足後は、松坂屋上野店のマスコットであった「[[さくらパンダ]]」とともに、同社のイメージキャラクターとなった。長崎大丸のキャラクターであった「政どん(現:でっちー)」も、デッチーくんとほぼ同じ造形である。 * [[中田ダイマル・ラケット|中田ダイマル]] * [[毎日放送]](設立当初からの大株主。ただし、現在は株主から離れている) * [[礒村春]] * [[ディーズファッション専門学校]] == 外部リンク == * [http://www.j-front-retailing.com/ J.フロント リテイリング] * [http://www.daimaru-matsuzakaya.com 大丸松坂屋百貨店] * [http://www.daimaru.co.jp/ 大丸] ** [http://www.daimaru.co.jp/fukuoka/ 福岡・天神大丸(博多大丸)] ** [http://daimaru.shimonoseki.ne.jp/ 下関大丸] ** [http://www.daimaru-tottori.co.jp/ 鳥取大丸] ** [http://www.kochi-daimaru.co.jp/ 高知大丸] {{デフォルトソート:たいまる}} [[Category:大丸松坂屋百貨店|*]] [[Category:J.フロント リテイリング|*]] [[Category:大阪府の商業施設]] [[Category:大阪市中央区の企業]] [[Category:西洋館]] [[Category:老舗企業 (江戸時代創業)]] [[Category:京都府発祥の企業]] [[Category:日本におけるモダン・ムーブメントの建築選]]